病中句
昨年12月28日から先月1月5日までの9日間、入院をしていた。
僕にとって最長の入院となる。病名は腸穿孔。
大腸に穴が開いて腹膜炎を併発して運が悪ければ敗血症になって云々と、なかなか危うい経験をしてしまった。
細かい経緯はそのうちまとめたいなあと思いつつ(何しろ人生初めてのことですし)、
年明けから割と仕事が続いていて(とは言え世間様とは比べるべくもない仕事量ではあるけれど)、落ち着いて文章を書く気にもならない。
で、いくつかの入院関連のことを五七五にまとめた。
季語とか何とか、本当はいろいろ決まりごともあろうが、それはさておいて、まあ簡単な近況の記録として。
こういうのは例えばお風呂とかでも考えられるのでいいですね。
腹の虫 師走にあばれ救急車
ER 死ぬか手術か管だらけ
腸穿孔 いのししを見ず さるいぬか
カテーテル 腹の痛みも忘れるか
冷たさや エコーで覗く腹のなか
熱はかり 血圧はかり 寝るばかり
年越しのそばに積むるやゴルゴ本
ヤクルトと重湯で迎える寝正月
点滴のしずくばかりか落とし玉
いのししや そろりそろりと初歩き
湯に浸かり 飯をいただき おらが春
退院の足おぼつかず 冬の道
「excavation」のつくりかた
「excavation」とは「発掘」の意。
制作の工程で、埋まっていたものを(自分で埋めているのだけど)掘り起こす作業からこの呼び名を思いついた。
以前から「どうやって作っているのか?」と訊かれることがあったので、あらためて「excavationのつくりかた」をまとめてみようと思う。
現在作成中ということで、明日以降に作ります。
ごめんなさい。
Robert Frank 「THE AMERICANS」 STEIDL版
上院は共和党が過半数で、下院は民主党が過半数になったそうだ。
この結果がドナルド・トランプにとって良いことなのかどうか、ひいてはアメリカ合衆国にとって良いことなのかどうかは全く解らない。
ただ、過去50年で最高になりそうだという投票率の上昇は、良くも悪くも彼の功績と言っていいのではないだろうか。
さて、本稿のお題「THE AMERICANS」は、巨匠、ロバート・フランクのあまりにも有名な写真集で、1958年に出版されて以来、何度も版を重ねている。そのたびに、装丁が違っていたり、実はトリミングが違っていたりとか、いろいろと変遷があるらしい。
僕の持っているのは2008年発行のSTEIDL版、ハードカバー。それまでの版とどこが違うかは知らない。
というか、巨匠などと書いてはみたが、写真業界に疎い僕は、ロバート・フランクという写真家のことをほとんど知らない。
知っているのは、ローリング・ストーンズの1972年のアルバム「メインストリートのならず者」のジャケットに彼の写真が使われているということと、
その後の1972年ツアーの模様を撮影したがお蔵入りとなった(にも関わらずやけに有名な)ドキュメンタリー映画「コックサッカー・ブルース」の監督だということくらいだ。
この写真集についても、なぜそんなに名作扱いされているのか、僕にはわからない(もともと、写真集の見方/楽しみ方を心得ていない、僕の感受性に難があるせいだけれど)。
収められた写真は1955年から56年に撮影されたという。
ベトナム戦争は始まったところで、まだ泥沼化はしていなかった。「トムとジェリー」は作品のピークは過ぎていたがまだハンナ=バーバラが手がけていた。ブルーノートはリード・マイルスによるクールなアートワークとともに黄金期を迎えていた。そしてエルビス・プレスリーがGibson SJ-200を抱えて、今にも表舞台に登場せんとしていた。言ってみればアメリカが元気だった時代である。
にもかかわらず、どのページを開いても感じるのは、まず「倦怠」だと思う。
日々の暮らしの疲れ、うがった見方をすれば、元気であることの疲れ、かもしれない。それらが声高に主張されることなく、じわりと感じさせられてくる。
決して見ていて楽しい写真たちではない。でも、たぶんここには、ある種の真実が写されているのだろう。
はじめは、アメリカの中間選挙のことなどは念頭に無いまま、この写真集を久々に開いてパラパラと眺めていただけだった。それがなんでこんな文章を書くにいたったかというと、頁をめくっていくうちに、この写真たちが60年前に撮られたものではない気がしてきたからだ。
写真に焼き付けられた空気が、報道から感じられる今の気分と共振しているように思えてきたのだ。
もしかしたら、今のアメリカも、「AMERICANS」の頃と同じくらい疲れているのではないだろうか。
ジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンは、自分の国—アメリカ—が「AMERICANS」みたいな表情を晒すことを望んでいたとは、当然ながら思えない。
谷崎潤一郎 「卍」 函の修復
「卍」は好きな小説だ。
内容はけして健全ではなく、とは言え当時は攻めていたであろう内容も、今の目からみればそれほどでもない点もあろうけれど、読み物としての面白さは今でも全然損なわれていないと思う。
なにより小説の舞台がうちの近所というのが、他の小説とはちょっと異なる思い入れを感じてしまう。今ではモーターボートやそれに引かれる水上スキー、ウィンドサーフィンなどでにぎわう香櫨園浜が、かつては海水浴場で、その当時の様子が小説に描かれており、知ってはいてもそこらの描写を読むと不思議な心持ちになる。
「卍」の初版本は、美本でなければそれほど高価ではない。もちろん本の価格としてみればかなりのものだけれど、例えば「お艶殺し」(千章館刊)なんて、ギブソンES-335の新品が買えちゃう値段だったりするわけで、それと比べれば実にかわいいものである。
過日に入手したこの本は「函イタミ」とのことでそれなりの値段。和綴じの本じたいはとても綺麗なので、けして悪い買物ではあるまい、と自分に言い聞かせる。ところがその函がなかなかのもので、「イタミ」というよりはボロボロである。天と底がぱっくり割れており、くわえて前の持ち主はセロテープで張り合わせていた始末。
そもそも昔の本の函は、多くの場合、今とくらべるとかなりタイトな寸法で作られていて、折りのところで破れているものをよく見かける。
せめて本のケースとして使えるようになってほしいなと思い、「卍」の函の修復作業をした。
破れた角を突き合わせて接着するため、和紙で糊代を作って張り合わせた。
ちなみに、使用したのは名塩和紙。西宮の海側を舞台にした小説を、西宮の山側で漉かれた和紙で補修したことになる。どうでもいいことだけど。
函としては、これで十分かたちになるので、これ以上の作業は必要ない、と思ったのだけれど、どうしても外側——見た目が気になってきた。
ということで、外側からの補強と、色のかすれや破れの修復を兼ねて手持ちの色つき和紙を貼り付け。それにしてもこの紙の色が違い過ぎる。本来ならば近い色の紙をちゃんと探すべきなのだが、この辺りが我ながら詰めの甘いところだ。
貼った和紙の色が違い過ぎるので、とうとう水彩絵具をのせて強引に色をあわせた。
最後に和紙の毛羽立ちをマットメディウムでおさえて、心残りはあるけど完了。
心残り、というのは、画像でもよく見ればわかるかもしれないけれど、おそらくニスによる艶の有無で「卍」と刷られている。これをマスキングしてクリアをエアブラシしてもう少し強調しようか…と考えたけれど、さすがに失敗したら怖いので、やめておくことにした。
本の函としては機能するようになったけど、古本としての値打ちはガタ落ちだろう。
「創作展 感じるパッケージデザイン展」 関西展、終了しました
そもそも展覧会の期日等をろくに書いていなかったかもしれないけれど、京都の嶋臺ギャラリーにて10月4日より開催されていた「創作展 感じるパッケーデザイン展」、10月11日の最終日を無事迎えることができました。
ご来場くださった方、行くことはできなかったけど興味を持っていただいた方、展覧会にご協力いただいた方々に、展覧会委員のれん作成担当としてお礼申し上げます。
正直なところ、今回のテーマ〈言葉はなくても伝わるデザイン〉で一体なにができるんだ?と、かなり懐疑的な姿勢で参加したのだけれど、搬入日に会場に展示された作品を見て、すごく幅広い答がずらりと並んだことに感服しました。さすがに皆さんプロのデザイナーである。
会場の様子などは、InstagramのJPDA展覧会のページもご参照ください。前回の展覧会の画像も見られます。
ところで、展覧会の搬入・搬出は、JPDA展覧会の委員はもちろん、出展者にもご協力いただき、つまりはJPDA会員によって行われるのだが、毎度のことながらこれがまあ手際良くてここでも感服してしまう。
期せずして似たような角度から撮った写真があるので上下2枚をならべてみる。
下段の写真は搬出の様子。左に積んであるのが梱包の終わった展示台。
上の写真から下の状態になるまでがほぼ1時間。念のために言うと、展示スペースはここだけではない。なにしろ全部で100点の作品が展示されていたのだ。嘘みたいだけど、本当にほぼ1時間で約100点の作品の梱包をして、組み立て式の展示台を分解して箱につめる一連の作業が済んでしまった。当人達の予測を超える早さで段取り良く進んでしまい、むしろ呆れて笑ってしまう程だった。
実のところ、僕は搬入・搬出のバタバタ感は嫌いではない。体を動かすことは大嫌いだけれど、みんなでわーっと準備・撤収をするときというのは、ある種のお祭りの醍醐味の一つではないかとすら思っている。
できれば、次回の展覧会のときは、搬入・搬出の様子を動画で撮ってYouTubeにアップしたいくらいだ。本当に手際いいんだから。さすがに皆さんプロのデザイナーである。