雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

芥川龍之介について、つらつらと。

かなり昔から好きな作家の一人。箴言集「侏儒の言葉」などから伺えるものの見方など、若かりし頃にすっごく影響受けました。
初めて著書を手にしたのは12歳の冬でした。岩波文庫の「歯車 他2篇」。当時は100円(今amazon見たら、420円するんだって!!)で、パラフィン紙に包まれた薄い文庫本は、手にしただけでなんだかちょっと頭が良くなったような気がしました(岩波文庫の装丁によるものと言えなくもないけど)。「或阿呆の一生」の「或」なんて漢字の使い方がかっこいいと思ったものです。
 

参考にした写真よりカッコよくなってしまった…
 
芥川龍之介というと、その小説よりも、残された写真のイメージの方が強いという人もいるかもしれません。クール、知的、それだけでは収まらないデエモニッシュな何かを感じさせるルックス__当時の写真の陰影の具合とか質感とかの影響も大きいでしょうけど、知的かつ、一癖ありそうな人、のひとつの典型ではあると思います。ちょっと古い例ばかりだけれど、岸田森とか山本學といった役者さんのイメージなんて、芥川の系譜だと思うのだけれど(マンガで言うと、「ルパン三世」の石川五右衛門とか「ゲッターロボ」の神隼人とか)。最近で言うと誰でしょうね?
「デエモニッシュな何か」というのは、自殺という自らの死にまつわるエピソードとも関わりがあるのでしょう。
それから、芥川の作品といえば、シニカルで厭世的・暗い、あるいは病的といった印象を持つ人が多いかもしれません。前述した岩波文庫には順に「玄鶴山房」「歯車」「或阿呆の一生」と、晩年(といっても30代半ばなんだけど)の3編が収められていますが、いずれも、読後に陰鬱とした冷たいトーンを感じてしまうのはたしかです。
 
個人的には、芥川文学というのは、「大正〜昭和初期の浪漫主義のムードを想像しながら、芸術至上主義のピュアなインテリの知的遊戯を楽しむ」といった角度から読んで、単純にその技量に感心していればいいんじゃないかと、最近は思ってます。有名どころを除くと、「早春」「點鬼簿」「蜃気楼」「三つの窓」なんか良いですね。
ついでに加えると、「歯車」の病的な内容などから、晩年の芥川は精神を病んでいたのではないかと言われていますが、「芥川龍之介未定稿集(荒巻義敏編)」などを読む限り、確かに疲れを見せてはいたものの、特に病的な行動や発言は無かったようです(むしろ「自分は精神を病んでいるのではないか?」という不安の方が大きかったのではないかと)。「歯車」の精神病的な描写は、例えば同じくいちいち病理を解読された(けれども作者本人は作品としてそういうシーンを入れただけで、全部外れていると発言している)つげ義春の「ねじ式」と同じく、あくまで作家として、「こんなのカッコいいじゃん」みたいなノリで(まあそこまで軽くないにしても)作品を書いた面もあったんじゃないかと思います。もちろん、なぜこうした作風にシフトしたのか、という疑問は出てくるでしょうけれど。