雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

「今夜はおしまい」 平成21年1月17日 浅川マキ逝去


浅川マキの「ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった」は、僕の大切なアルバムの一枚だ。
 
本作は、”アケタの店”と、京大西部講堂に於けるライブ録音を収録したもの。僕としてはB面の「ボロと古鉄〜あの男がピアノを弾いた」のフリー演奏は聴いていてキツいけれど、このメドレーと、B面最後の曲以外はピアノとベースの伴奏、最後の「不幸せという名の猫」もギターのみと、シンプルでとても味わい深い、歌と演奏だと思う。僕は録音された会場については、いずれもどんなところか知らないけれど、小さなスペースで演ってるっぽい音の感じも、良いというか、かっこいい。まあ、それがアングラっぽいと言えばそうなのかもしれないけど、「そーゆー暗いのイヤ」で片付けて聴かずにおくのはもったいない。暗いと言えば暗いけど、でもなんか演奏者の体温の感じられる、稀少な音盤だと思うのだが。
僕は、とりわけA面がなんとも言えず好きで、学生の頃からちょくちょく聴いていた。近年レコードプレイヤーが再び使えるようになったときも、真っ先にかけた一枚だった。
 
浅川マキのレコードは他にも数枚持ってるけれど、彼女について、プロフィールとかの周辺情報は殆ど知らない(こともあろうに、正確な名前の読み方すら知らなかった。「あさかわ」なのですね。ずっと「あさがわ」だと思っていた。濁点がつくとつかないとではイントネーションが変わってくるのだから、これはかなり大きな間違いだ)。これは吉田美奈子についてもそうなんだけど、「あの大物とセッションしたことがある」とか「こんなすごい会場でやったことがある」とか「あの曲とこの曲がヒットした」といった情報をわざわざかき集めてアーティスト幻想を盛り上げなくても、歌を聴くだけで充分に満足できるからだろう(つまりは、音源の前で圧倒されているわけで、逆に言うと、聴き手としての僕の力の無さを露呈しているのかもしれない)。
 
浅川マキの人となり等について知らない分、個人的な印象とかと勝手につながってしまっていて、例えば彼女の歌は、僕に名古屋の今池を連想させる。
地下に続く狭い階段を下りて行くと木の扉が迎えるライブ・バーがあった。僕はそこで時折ブルースの生演奏を聴いたりしていた。洋風のしつらえのその店は日本酒も置いていて、どうでもいいけど梅クラゲというアテはそこで初めて知ったのだった。
それとか、ピーカン・ファッジという中古レコード屋(まだあるんですかね)の入っているビルの2階は絵に描いたような裏ぶれた映画館があって、同じフロアにウニタ書店(ここもまだあるんでしょうか?青林堂の本が異様に充実していた)という本屋があった。さらに同じフロアにはカバラ書店という古本屋もあって、どちらもなんか独特な品揃えでちょくちょく足を運んでいた。その頃は本屋が知識とか情報の宝庫だった。
そのウニタ書店やカバラ書店のBGMで流れていたわけでもないのに、「ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった」は、そういう僕の記憶の中の風景に妙にはまる。僕は感受性が乏しいのか、視覚イメージを聴覚のそれに置き換えたり、あるいはその逆のことなどあまりできない方なのだけれど、浅川マキの歌は数少ない例外にあたるらしくて、例えばこのアルバムのA面最後の曲「あの男が死んだら」なんて、現代やら近代やらがないまぜになったイメージがフレーズごとに目紛しく喚起されたりする。
浅川マキは、決してドスの聴いた声で暗い歌を唄うアングラの女王で片付けられるひとではなく、もっと幅広いイメージの喚起力を持った歌手だったと思う。
 

最近、音楽のダウンロード配信が進む中で、CDの売り上げが落ちているらしいけれど、これからはカラオケのアイテムやタレントのキャラクターグッズとしての音楽と、演奏力や歌唱力を鑑賞するための音楽に二分されていって、もっと「ナマの音楽」を聴く人も増えるんじゃないかという希望的観測を、少しだけ僕は持っている。
浅川マキの歌は、もちろん鑑賞するものだ。カラオケのレパートリーには決してなり得ない(というか歌ったら大顰蹙だろうけど)。彼女は名古屋での三日間のライブの最終公演の前に倒れたそうだ。享年67歳。はっきり言っておばあちゃんである。おばあちゃんになっても彼女の歌を聴きたい人たちが沢山待っていたのだろう。
 
彼女の活動をつぶさに追っていたわけでもないのに、こんな風につらつら書くのもどうかと思うけれど、正直言って小林繁氏以上に驚いたので、なんか書いてしまった。
 
タイトルの「今夜はおしまい」は、アルバム「ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった」の一曲目。
港街にある呑み屋にいる、なんか過去のある少々やさぐれたママさんの歌だ。と、思う。別に彼女の訃報を知ったからと言って飲み明かしたわけでもないけれど、ともかく昨日からこの曲を含め、「ふと或る夜、〜」のA面が頭の中でエンドレスで流れていて、それに伴って今池の風景が呼び起こされている。ノスタルジーに浸るには寒さが少々身にこたえる。 R.I.P.