雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

野村万作 萬斎 狂言会 第十六回

8月31日、19:00開演 大槻能楽堂にて
 
今更ながら8月末に行った狂言会について(これを書いているのは2012年1月末)。
座席は脇正面の前から2列目、目付柱の正面あたり。なかなか良い席です。まあ能楽堂ってそれほど広いわけではないのでさほど外れ席は無いと思うんだけど。
屋根にたくさんの蛍光灯がついてるのですが、2つ3つ、古くなっていてチカチカしてました。
「それが気になって舞台に集中できなかった」というわけではないですが、まあ一応。
 
間もなくお月見ということで、上演された演目はいずれも「月」にちなむ三曲。
 
狐塚 (きつねづか)
太郎冠者/高野和憲  次郎冠者/月崎晴夫  主/中村修
 予告では「太郎冠者/石田幸雄 次郎冠者/高野和憲 主/月崎晴夫」となってましたが変更。
 なので、相方さんが好きな石田幸雄さんは観られませんでした。
 ある豊作の年、悪い狐が出るという噂の狐塚で、田の番を命じられた太郎冠者。
 鳴子を振って田んぼを荒そうとする鳥を追ううちに日が暮れていきます。
 そこへ、「暗くなって太郎冠者が心細かろう」と主と次郎冠者がねぎらいにやって来ます。
 ところが太郎冠者はこの二人を狐が化かしにきたものと思って、二人とも縛り上げてしまい…というお話。
 主も次郎冠者も本人なのに、「狐が化けたもの」と勘違いするところからギャグが生まれるんだけど
 思うに、この当時から「狐が人を化かすなんて、人間の思い込みで、本当のところは迷信だ」と
 人々は判ってたんじゃないですかね?
 現在、迷信だと言われていることの大半は実のところ承知してて、
 それでも信じてる(フリをしてる)方が
 なにかとコトが上手く運ぶから、信じるように振る舞ってたのではないのかな?と。
 そんなことを思いました。
 大概は太郎冠者と次郎冠者が主など偉い人に追いかけられて終わるところなのに、
 締めの「やるまいぞやるまいぞ」が太郎冠者の台詞、というところがちょっと珍しいのかな?
 
月見座頭(つきみざとう)
座頭/野村万作  上京の者/野村萬斎
 仲秋の名月。河原で虫の声に聴き惚れる座頭に、
 月見の男(上京の者)が声をかけ、歌を詠み合って意気投合。
 謡いつ舞いつ酒宴を楽しみ、和やかに別れた後…。というお話。
 「風流が不条理に一転」と解説されているし、
 このあとの万作さんの芸話でも「不条理劇」と紹介されたけど、そうかな?
 友人や親しい人などの仲間と認めた人と
 そうでない、見知らぬ他人に対する、距離感とか態度の違い、ととったのだけれど。
 ましてや、当時は街灯など無い暗い夜道のこと、つい先ほど会った人とはいえ
 人違いもあるだろうに(それこそ「誰そ彼」と言うように)、と思うのだけれど。
 とは言え、「人は知り合いには優しく、他人には冷たいものだ」でまとめちゃうと
 ちょっと味気ないかもしれないなあ。うーむ。
 
 この曲は「合柿」みたいに、万作さん=座頭が
 哀れ〜な感じで終わるのだけれど、やはり「合柿」と同じく、
 単に可哀想だけでなく、なんかペーソスを感じてしまう。
 その辺りが、万作さんの「味」というのかもしれません。
 
 ところで、芝居/役者にとって、目というのは大切な要素であって、
 だから舞台などではメイクで目を大きく見せたりするのだろうけれど、
 座頭役の万作さんが舞台に出てきたとき、単に目を閉じているのではなく
 「目の存在感」を殺していることに感心してしまった。
 例えて言うと、つげ義春の「無能の人」に出てきた古本屋の山井さんみたいな目をしてたのですよ。
 
 ちなみに、何度か台詞に「目の見えない〜」という言葉があったけれど
 かつては「盲」で良かったのでしょうね。別にいいと思うんだけれど。まあいいや。
 
芸話 野村万作
 先の「月見座頭」について。
 幕末頃に鷺流(現在はプロというか、能楽協会に所属する流派としては無いそうです)が始めたが
 現在は大蔵流占有曲だそうな。(あれ?野村万作家って、和泉流でないの?? 今更だけど。)
 
 また、座頭が出てくる別の曲(題名失念)を紹介。時代によって変わる演出についてのお話など。
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 盲になった夫が、地蔵さんに「目が見えますように」とお参りする。
 と、地蔵が「お前の目を見えるようにしてやる。そのかわり、今の女房と別れなさい。
 そうしないと、また盲にしちゃうぞ」と。
 夫は目が見えるようになったんだけど、この夫婦は別れなかったので、結局また盲になってしまう。
 それでも、これからも二人で暮らしていこう、と。 いいお話ですね。
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吹取(ふきとり)
男/深田博治  何某/野村萬斎  女/岡 聡史
 清水の観世音に祈願して、月夜に五条の橋で笛を吹けば妻を授ける、とお告げを受けた男。
 ところが男は笛が吹けないので知人の某に頼んで代わりに吹いてもらう。
 お告げ通りに女が現れるけど、女は笛を吹いていた何某に近づく。
 男は「妻をめとるのは俺だ」とばかり、女を自分の方に引っ張る。
 そこで女がかぶり物を取ると、これがまあえらい不細工で… というお話。
 
 「日本の伝統芸能」とかしこまる人々を笑い飛ばすかのような不細工なお面。
 昔からあんなのかな?ちょっとビックリするくらいブスです(笑)
 この曲、女の人が観てどう感じたかはわからないけど素直に笑ってしまった。フツーにコントです。
 ともかくこの普遍性はすごい。
 これ、筋書きそのままで台詞を現代の言葉になおして
 志村けん加藤茶が演ったら、充分今でも楽しめるんじゃないかな?
 
 そうそう、深田さん、一ヶ所台詞のフライングがありました。