雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

谷崎潤一郎 「卍」 函の修復

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「卍」は好きな小説だ。

内容はけして健全ではなく、とは言え当時は攻めていたであろう内容も、今の目からみればそれほどでもない点もあろうけれど、読み物としての面白さは今でも全然損なわれていないと思う。

なにより小説の舞台がうちの近所というのが、他の小説とはちょっと異なる思い入れを感じてしまう。今ではモーターボートやそれに引かれる水上スキー、ウィンドサーフィンなどでにぎわう香櫨園浜が、かつては海水浴場で、その当時の様子が小説に描かれており、知ってはいてもそこらの描写を読むと不思議な心持ちになる。

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「卍」の初版本は、美本でなければそれほど高価ではない。もちろん本の価格としてみればかなりのものだけれど、例えば「お艶殺し」(千章館刊)なんて、ギブソンES-335の新品が買えちゃう値段だったりするわけで、それと比べれば実にかわいいものである。

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過日に入手したこの本は「函イタミ」とのことでそれなりの値段。和綴じの本じたいはとても綺麗なので、けして悪い買物ではあるまい、と自分に言い聞かせる。ところがその函がなかなかのもので、「イタミ」というよりはボロボロである。天と底がぱっくり割れており、くわえて前の持ち主はセロテープで張り合わせていた始末。

そもそも昔の本の函は、多くの場合、今とくらべるとかなりタイトな寸法で作られていて、折りのところで破れているものをよく見かける。

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せめて本のケースとして使えるようになってほしいなと思い、「卍」の函の修復作業をした。
破れた角を突き合わせて接着するため、和紙で糊代を作って張り合わせた。

ちなみに、使用したのは名塩和紙。西宮の海側を舞台にした小説を、西宮の山側で漉かれた和紙で補修したことになる。どうでもいいことだけど。

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函としては、これで十分かたちになるので、これ以上の作業は必要ない、と思ったのだけれど、どうしても外側——見た目が気になってきた。

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ということで、外側からの補強と、色のかすれや破れの修復を兼ねて手持ちの色つき和紙を貼り付け。それにしてもこの紙の色が違い過ぎる。本来ならば近い色の紙をちゃんと探すべきなのだが、この辺りが我ながら詰めの甘いところだ。

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貼った和紙の色が違い過ぎるので、とうとう水彩絵具をのせて強引に色をあわせた。
最後に和紙の毛羽立ちをマットメディウムでおさえて、心残りはあるけど完了。

心残り、というのは、画像でもよく見ればわかるかもしれないけれど、おそらくニスによる艶の有無で「卍」と刷られている。これをマスキングしてクリアをエアブラシしてもう少し強調しようか…と考えたけれど、さすがに失敗したら怖いので、やめておくことにした。

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本の函としては機能するようになったけど、古本としての値打ちはガタ落ちだろう。