雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

谷崎潤一郎 「攝陽随筆」

読んでいない本が何冊も積まれているにもかかわらず、この夏は谷崎潤一郎の「卍」と「春琴抄」を再読していた。特になにか事情があったわけでもなく、何となしに頁をくっているうちにまた読んでいた程度のことだ。
とはいえ「卍」は印象を新たにしたし(正直なところ、登場人物がどいつもこいつも碌なものじゃない)、「春琴抄」はせっかく日本語を解する以上、一度は読んでみても損はしないのではないかとあらためて思わされたし、これはこれで有益な読書体験ではあった。

 

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そんなふうに何となく谷崎を読むのが続いたので、勢いを買って、積んでいた本の一冊「攝陽随筆」の表紙を開くことにした。随分と前に購入して、収録されているもののうち短い数編は読んでいたのだけれど、おそらく目玉と言って良いであろう「陰翳禮讃」はじめ、長いものは全く読んでいなかった。
「攝陽」というのは伊丹の辺りのことを呼ぶようだが、年譜を見ても谷崎が摂陽に住んだ記述は見られないのに、なんでこの題名にしたのかわからない。ざっくりと「関西に住まうようになってから書いた随筆」と解釈している。

 

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この本を僕が読もうとしなかったのは、旧仮名遣い/旧字体を追うのが億劫だったのと、おそらくはその文字組みにあったのではないか、そして、なぜ突然に読み出したかというと、その文字組みにようやく慣れたからではないかと思う。
明朝体(書体まではわからない)で、級数表を当ててみると(まだそんなものを持っているのだ)、15級(5号活字)、字送り22、行送り15(全角)と、特に字間/字送りのとりかたが今日の感覚で見ると独特なゆったり感が感じられないだろうか。
くわえて、句読点やカッコが、その広めにとった字間のアキに収められていることと、改行の全角アキがない。そのため、頁を開くと全面に均等に文字が載っていることになるわけで、こうして組まれた文字の持つ読むテンポみたいなものが、なかなか掴めなかったのだ。

 

ところで、句読点やカッコは一文字あつかい、改行の一文字めはあける、というのは日本語を書く際に昔から決まっていたことではなく、明治以降、活字で印刷するようになってから、紆余曲折を経て現在のルールに落ち着いたもののようだ。
さすがに「攝陽随筆」が刊行された昭和10年頃には、今と同じルールが定着していたはずだけれど、この本のみならず、谷崎は意図的にこれらのルールに倣わないことがある(それこそ「春琴抄」がそうだ。加えて初版本はひらがなの使い方も独特なので実に読みにくい)。
こうしたルール破りによって、刊行当時においても、ひと時代前の感じ/物語の舞台となっている時代の雰囲気を狙っていたのではないかと思うのだけれど、どうなんでしょうね。

 

収録されているのは、順に、陰翳禮讃/春琴抄後語/裝釘漫談/文房具漫談/直木君の歷史小說について/東京をおもふ/私の貧乏物語/大阪の藝人/半袖ものがたり 。
このうち、「陰翳禮讃」「直木君の歷史小說について」「東京をおもふ」の3編が長く、ほかは短い時間で読めるような軽い内容のものだ。
とは言え、前記の長い3編もけっこう楽しく読める。「陰翳禮讃」だって、妙に神格化されている節もあるけれど、いざ読んでみると、さほど「日本文化とは」などと大上段に構えてるわけでもない。

 

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画像は「東京をおもふ」の一部。
なんでこの頁を撮ったかというと、「キネマ旬報」が発足当時は「まだ淋しかつた夙川の土手の松並木の下にあつた」という記述が気になったので。
キネ旬が夙川のどの辺りなのか知りたくて以前に調べたのだけれど、未だわからず。当然ながら、夙川沿いには「キネマ旬報発祥の地」のような碑もない。今となっては、ご存知の方はいらっしゃらないのだろうか。