雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

九鬼周造 「『いき』の構造」

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常に「いき」な大人でいようと思いはしても、なかなか敷居は高いものだ。

せめて不粋ではいたくない/野暮な人にはなりたくない、くらいは意識して過ごしていきたいとは思う。それとてかなり難しいことではあるけれど。

さて、この「いき=粋」だの「不粋」だの「野暮」だのという言葉、正確にはどういう意なのだろう。あらためてそんな疑問が浮かんだおりに出会ったのが本書である。

青空文庫でも読むことができる、おそらく古典と呼んでさしつかえないだろう。

 

著者の九鬼周造は哲学者であり、この本も哲学書である。だからというわけではないけれど「いき=粋ってこういうことなんだ!」なんて明快にわかる、という読後感は持てない。

文章も決して平易ではない。

例えば、「”上品/下品”は、人性的一般性に基づく、対自性の区別である」などと言われてもなんだかわからない(ここだけ抜粋してもわからなくて当然ではあるけれど)。

 

個人的に興味深かったのは、まず三章の「『いき』の外延的構造」。

「いき」となんらかの関係を持つ言葉をあげて、それらを関連づけて最終的に図に表現している。

「そこまで上手いこと割り切れるものかなあ」という懐疑心もなくはないけど、少なくともデザインをする上での指標の一つにはなりうると思う。

 

また、五章の「『いき』の芸術的表現」においては、文様(特に縞模様)や色彩についての、つまりはグラフィックデザインについての原則的・実践的な示唆と読むこともでき、前述した三章と合わせ、今でも通用するクリエイティブにおけるルールを見つけることができる。

ここは図版があればもっと解りやすかっただろうに、なんてことも思うけれど。

 

図版が無いということは、この本を読む以前にさまざまな「いき」な文物などを見聞きしていて、それらから「お、粋だねえ」という感覚を覚えたことのない人には、本書で説かれていることはちんぷんかんぷんかもしれないということも言えるだろう。

事実、長唄などの日本の音楽に見られる(この場合は聴かれる、か)粋についてのくだりはそうした曲を聴いたことのない僕にはさっぱりわからなかった。

 

とは言え、「日本人がなんとなく了解していながら、ついに誰一人として説明を省いてきたこと(「松岡正剛の千夜一冊」より引用)」を定義しようとする姿勢くらいは理解できるし、わからないなりに通読すれば、それまでなんとなく使っていた「いき=粋」という言葉の解像度が何段階か上がる感覚は持つことができると思う。

そんな風にして、自分の中の「いき=粋」の概念をバージョンアップすることで、あらためて「いき」な大人でいること、不粋や野暮でいないことの難しさもいまいちど感じてしまう。

結局は本書を物差しのひとつとしつつ、これからも経験を重ねて、自分なりの「いき」の構造を構築していくほかないのかもしれない。

 

つまるところ、「野暮は揉まれて粋となる」

旨いこと言ったものですね。

"はてなダイアリー"から"はてなブログ"へのインポート完了

先日、"はてなダイアリー"からのインポートができないと書いた後に、

"はてなブログ開発ブログ"に文句のコメントを入れたところ、

突然インポートができるようになって、あっさり完了してしまった。

たまたまタイミングがよかっただけのことなんだろうけど、

なんだか自分がクレーマーになったような気がして

逆にちょっといやな気分になってしまった。これも勝手な言い草ではあるけれど。

 

ともかく、引っ越し完了。

ここから"はてなブログ"のみの記事となる。

 

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"はてなダイアリー"終了のお知らせ だけど"はてなブログ"にインポートできない

yahooニュースで知ったのだが、こちらのお知らせにあるように、
当ブログもずっとお世話になっていた"はてなダイアリー"がサービス終了するそうだ。
とは言えここ数年は1年に1つか2つ更新する程度で、放置と言ってよい状態だったし、
"はてなダイヤリー"と"はてなブログ"、似たようなサービスを
なぜいつまでも並行してやってるのだろうと思っていたクチなので
サービスが終わるからといって、困ることもなければ、不服も特にない。
「長い間お世話になりました」ということしかない。
こんな過疎ブログでも、続けていなければ経験できなかったことだって、ささやかながらあったのだ。
 
とはいえ、更新の滞るようになった近年は、
自分にとってブログって何よ?と考えさせられるようにもなったし、
続ける意義というのも今ひとつわからなくなっていたところもあったので、
これを機にブログなどというのも辞めてしまおうかとも思ったのだった。
 
ところで、上記のリンク記事を読むと「"はてなダイアリー"から"はてなブログ"に移行できるぞ」と書いてある。
せっかくなので移行してみようと思い(続けるとは言ってない)
急遽はてなブログを作って、「記事のインポート」なることにトライしてみた。
続けるかどうかは置いといて、今まで書いたテキストが残せるのなら残しておこう、と思ったのだ。
同記事において「"はてなダイアリー"を移行しなかったとしても閲覧できるように残しておくよー」とは書いてあるが
そもそも「"はてなダイアリー"はやめないよー」と言っていたにもかかわらず
辞めてしまうようなはてな運営の言うことなど、信じろと言っても難しいだろう。
 
ともあれ、いざ「記事のインポート」をやってみると、こんな表示が出て先に進めない。

 
いや、「"ダイヤリー"の記事を"ブログ"の方に移せ」と言っているのは
運営しているはてな側のくせに
いざ言うこときいてやってみたら
「混んでるから待て」って、なんだそれ?
と思ってあらためてリンク記事を見たら、
8月30日付で「一時的に(インポートの)機能を停止」している旨が追記してあった。
そうですか。
ただ、続けて「対応完了には数日かかる見通しです」と書いてあるけど
数日はとっくに経ってるぞ。

芥川龍之介 「河童・或る阿呆の一生」 旺文社文庫


 
芥川本の復刻版をまとめ買いしたら、おまけのつもりか文庫本が一緒に入っていた。
 
収録されているのは、
点鬼簿」「玄鶴山房」「蜃気楼」「河童」「歯車」「或る阿呆の一生
と、芥川晩年の作といえば必ずとりあげられるものばかり。
ベタと言えばベタな一冊である。
 
中学生から上あたりの世代を読者に想定しているのか
ちょっと難しい漢字にはルビをふってあるし、
傍注もページごとにつけられている。
当然ながら現代仮名遣いに改められているのでとても読みやすい。
 
解説もとても充実している。
収録作についての解説はもちろん、芥川の来歴と年譜、
さらに「羅生門」「鼻」をはじめとして全キャリアを通じた主要作品の解題まで載っている。
芥川の短編なら2,3作収録できるボリュームだ。
ともあれ、この本を読んで芥川龍之介に興味を持った人が
芥川の作品世界を俯瞰できるだけうえ、
次に何を読もうかと思った人のためのちょっとしたガイドになっている。
 
奥付を見ると定価は120円。昭和41年初版とはいえ安い。
多少時期はずれるが、
「玄鶴山房」「歯車」「或阿呆の一生」の3篇を収録した
岩波文庫版が昭和50年代で100円だった。
それも充分安いのだけれど、収録作品数、前述した解説の充実度と
旺文社文庫版はかなりお買い得感がある。
 
ところでこの本、背表紙に図書分類シールが貼られていることからもわかるように
図書館の本、というか、東京都立農産高校の蔵書だったようだ。
ご丁寧に図書カードもついたままなのだが、どうやら誰も借りなかったようだ。
 
ともかく、芥川龍之介の入門書としてお奨めの一冊。
見つけたら、迷わず買いです。
見つけられないのが難点ですが。

日本パッケージデザイン協会の展覧会「日本を包む」大阪展 もうすぐ開催

9月に東京・渋谷渋谷ヒカリエで行われた日本パッケージデザイン協会の展覧会「日本を包む」の大阪展も間もなくというか今月の26日から、梅田のブリーゼブリーゼ1Fで開催。
 
今回は「箱」にこだわって制作してみたのだけれど、自分が考えるようなコンストラクションなら誰かが既に作ってるのではないかと、ひたすらそれが不安だったりする。
 
ちなみに、一枚の紙を折り曲げて組立てることで出来上がるというのが密かなポイント。これをネタにワークショップも年明けに開催予定。
 
てゆーか今年一回も更新してなかったのか…
 
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