万作萬斎 新春狂言 2010
1月27日、19:00開演 サンケイホールブリーゼにて
これを見ないと新年になった気がしない、わけでは全くないのだけれど、
恒例の新春狂言です。
良い天気だったので和服で行ったけれど、和装の男性はどうやら僕一人だったようです。
独吟 雪山
レクチャートーク 野村萬斎
萬斎さんの謡初につづき(「雪山」というのは、野村家が新春に定番で謡うそうです)
本日の演目の見所などのレクチャー。
入場時に、演目のあらすじと台詞にでてくる語句の解説も載っているしおりがもらえる上に
枕としてこうしたレクチャーが必ずあるので、
狂言は初めてという人でも難解と感じることなく楽しめます。
墨塗(すみぬり)
大名/野村万之介 太郎冠者/破石晋昭 女/石田幸雄
大名から別れを告げられた女が、それを悲しんで泣くのだけれど
実はそれが鬢水入れの水を顔につけて涙に見せかけた嘘泣き。
それに気づいたお供の太郎冠者がこっそりと水入れを墨壷にとりかえて…
という、言ってしまえばベタなコントのような曲。
「能ならば悲しい別れの話となるところを、ひとひねりして可笑しくするのが狂言」
とはレクチャートークでの萬斎さんの言だけど、
単に「こっちの方が面白いだろう」というだけじゃなくて
権威としての能に対する諧謔になっている点も興味深いところです。
ちなみにうちの奥さんはお気に入り石田幸雄さんの中でも女役が大好きだそうで
この曲はそれだけで満足そうでした。
素囃子 神楽
大鼓/河村眞之介 小鼓/後藤嘉津幸 太鼓/加藤洋輝 笛/竹市学
これもレクチャートークから、
各々の楽器の構え方や演奏の動きが全て異なる点も見物とのこと。
言われてみると確かにそうだ。
(太鼓は直置き、大鼓は膝の上に載せる、小鼓は肩に、笛は横笛。並びも向かって左からこの順)
なんともまあ控えめな表現であること。
しかしこうした西洋音楽とは相容れない
日本古来の音楽が日常的に聴かれなくなったのはいつ頃からなんだろう??
歌仙(かせん)
柿本人丸/野村万作 僧正遍昭/野村萬斎
参拝人/竹山悠樹 在原業平/深田博治 小野小町/高野和憲
猿丸太夫/月崎晴夫 清原元輔/石田幸雄
地謡/破石晋昭 野村万之介 時田光洋
狂言の登場人物は大概匿名(「太郎冠者」とか「このあたりの者でござる」とか)なのだけれど
これは珍しく有名人(三十六歌仙のうち六歌仙)が登場します。
和歌の神・玉津島明神の歌仙の絵馬から立ち現れた六歌仙。
酒を呑んで、春歌を読もうと言い出したり
「遍昭と小町はデキてるんじゃねーかやーいやーい」とはやしたてたあげく
武器を手に殴り合いになったりと、要するにこいつら単なる酔っぱらいです。
ちなみに「柿本人丸」とは一般に言うところの柿本人麻呂。狂言ではこう呼ぶそうな。
能のような豪華な衣装とバラエティに富んだキャラクター、
立ち回りあり、謡(これは正直よくわからん)ありと、サービス満点で楽しめる舞台でした。
ここでも感じたのが諧謔精神。
和歌に秀でた歌仙たちを俗物として描く様は、
筒井康隆や高橋留美子に通じるのではないかと思えてしまうくらいでした。
衣装について覚書。
なんて呼ぶのか知らないけれど、
六歌仙の装束は全身をダブっと隠すような感じになってるのですよ。
それが、腕まくりをしてちょいちょいと数カ所を縛ると
アクティブに、つまり「戦闘モード」になっちゃう。
その変身の感じもロボットアニメ的で興味深かったです。