雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

「甲斐バンドが好きだった」と、周囲の人間に公言することが恥ずかしい。


そんな状況になって、かなりの時間がたっている。
いつ頃からそうなってしまったのかは置いといて、なぜそうなってしまったのかを考えてみると、考えるまでもなく、バンド解散以降、かつてのバンドを超える作品をついぞ作り出せずにかつてのファンを裏切り続けて現在にいたる甲斐よしひろが、客観的に見たときにカッコ良くなく、ここ数年に至ってはろくに新作すらも発表していないからだ(オリジナルにこだわるつもりはないが、例のカバーアルバムは仕事とは認められない。どのみち今後オリジナル作品を発表することがあったとしても、もう出来に期待はしていないが。と言いつつ、TOKIOに書いた2曲は、曲としては古さも感じたけど、まあまあだったと思う)。
そしてもうひとつ、こちらの方が決定的なのだが、ドサ廻りの懐メロ歌手のごとく、30年近くも昔の(自分一人の力で作ったわけではない)かつてのバンドのわずかなヒット曲と多くの代表曲にすがりついて晒し続けているその醜態が(特に全盛期を知っている者にとっては)見苦しくて見苦しくて見苦しくてどうしようもないからだ。
某巨大掲示板の甲斐関連のスレッドを見ると、かつての甲斐ファンがこぞって現在の甲斐よしひろを糾弾したり嘲笑したりする様をよく見受ける。しかしよく読んでみると(よく読むなよ)、甲斐バンド解散以降、少なくとも数作までは期待と失望を繰り返しながらも聴き続け、遂には失望させられることに疲れて匙を投げてしまった人を多く見受ける。個人的には「太陽は死んじゃいない」、アレで完全に終わった。ちなみに「Big Night」は、没後、延ばし延ばしにしていた甲斐バンドの納骨みたいなもの、「夏の轍」は忘れた頃に故人を偲ぶ精霊流しみたいなものだ。
念のために記すが、今でも甲斐よしひろのファンだと言う方にとっては本稿は何の意味もない。冒頭の「甲斐バンドが好きだった」という文の時制は、過去完了形なのだ。今でも甲斐よしひろが好きだということは、前述したような見苦しさを感じていないのだし、そうした方に本稿を理解してもらおうとは思っていない。また、だからと言って「まだ甲斐なんて聴いてるのかよ。顔なんかすっかり下膨れになっちゃって次長課長の河本みたいじゃん。ライブやれば昔の曲ばっかりだし歌っても声もろくに出てないし話をさせればNYのミックスダウンがあーだったとか花園や新宿はこーだったとかワンパターンの昔の自慢話ばかりだし口を開くたびに『HERO』の売り上げ枚数はどんどんサバ読みされてるし今や追っかける値打ちなんて全然ないじゃん」などと嘲るつもりも、もちろんない。いずれにしても今でも甲斐のファンだという方は気分を害されるだろうから、読まない方がいい。人の好みは様々だし、蓼食う虫も好きずきだ。ただひとつだけ言わせてもらえば、好き嫌いと良い悪いは、本来全く別の評価軸だということだ。
もし誰かから「甲斐バンドとは何か」と問われれば、「青春の尻尾」と答えると思う。年月を経て今聴くと気恥ずかしい曲もある。多くの洋楽を聴いていくうちに、(インターネットのおかげでもあるが)彼らの曲の元ネタも随分と割れている。大人の視線からでは評価の苦しくなる作品も少なくない。
それでも十代の頃の、今思い返すと時刻を選ばず叫びだしたくなるような気恥ずかしい記憶とともに、彼らの音楽も少年期のひとつの真実だったと思いたい。この際白状するが、仕事が立て込んで最終電車に揺られていたり、車で夜中の高速道路を自宅に向かって運転しているとき、まっさきに脳裏に流れる曲は「三つ数えろ」だったりするのだ。気候の良い季節に優しい雨が降れば「裏切りの街角」のイントロのギターの音が鳴りだすし、晩秋に落ち葉を踏みながら道を歩けば「薔薇色の人生」や「風が唄った日」が流れてくるのだ。
こういう尻尾はタチが悪い。なかなか切れないし、切ったとしてもカナヘビのようにまた後から生えてきてしまう。もう仕方ないのだ。この尻尾を引きずってこれからも暮らしていくしかないのだ。「らせん階段」や「観覧車」や「射程距離」と。あるいは「男と女のいる舗道」や「ブラッディ・マリー」とともに。恥ずかしい話である。それがどうした?何か悪いか?畜生。