雑駁記——藤沢図案制作所——

ざっぱく【雑駁】(名・形動) 雑然としていて、まとまりのないさま。「_な知識」「文明の_なるを知らず、其動くを知らず」〈文明論之概略諭吉〉

かはたれ←→たそかれ


今では「かわたれ」「黄昏」と書いた方がわかりやすいですね。
つーか、そもそも「かわたれ」なんて言葉、知ってます?
僕はついさっきまで知りませんでした。
初めて目にしたときは「かたわれ」と読んでしまった。
 
「かはたれ」というのは、
『彼(か)は誰(たれ)』__あれは誰かと見分けのつかない薄暗い時刻、
多くは明け方のこと
対して「たそかれどき」は、
『誰(た)そ彼(かれ)は』__でまあ、人の見分けがつきにくい薄暗い時刻で、
多くは夕暮れのこと
 
なのだそうです。
「黄昏時」って言葉は知ってたけど、語源は知らなかったし、
それに対する「かわたれ時」って言葉も知りませんでした。
でもって、「かわたれ」を辞書でひいたところ
この対を成すふたつの日本語の関係に軽く感動してしまったという次第であります。
 
しかし、なんで「誰そ彼」が「黄昏」という漢字になったのでしょうね?
もしかしたら「かわたれ」が使われなくなったのは「黄昏」に対するような
詩的な当て字が開発されなかったからではなかろうか?
「日の出」や「夜明け」や「曙」と言った言葉の持つポジティヴなニュアンス__
__『希望』とか『始まり』とか__の一歩手前の、
そういう前向きなものを感じていいのかどうか、いまひとつ確信を持てない不安定さを表す、
(それって「夜明け前」って言葉じゃ持ち得ない感じがあるじゃないですか)
なかなか素敵な言葉だと思うのですが。
 
ちなみにこの言葉を知ったのはネットサーフィン(笑)をしてるときに見た
こちらのサイトというかwikiにて。
上記のwikiの内容については何とも言い様がないけれど、
とりあえず、川上未映子さんのblogは読者の文学的レベルを高めに設定してらっしゃるようで
僕には無茶苦茶読みにくかったです。